山本晋作のブログ

もうすぐアラサーになってしまう…

神様おねがい、時間を戻して…

お題「人生で1番の失敗」

 

神様おねがい、時間を戻して…

 

誰だって一度はこう思ったことがあると思います。

あのとき告白をしていれば、あの決断を引き止めていれば、もっと注意しておけば、

そんな後悔が誰にでもあると思います。

 

僕にもどうしても戻りたい過去があります。

ありきたりなエピソードですが僕は大学受験に失敗しました。

本当に前進前例をかけて挑戦しました。

しかし結果は箸にも棒にも掛からない惨憺たる結果でした。

本当にのどから手が出るほど人生をやり直したいです。

そんな僕の失敗談です。

 

 

僕は市で最も偏差値の低い(農業)高校に通っていました。高校の偏差値は40ちょっと、そのため一般的な教養科目の授業というの微々たるものでした。数学はⅠAまで、現代文や古文はという分別もなく国語総合として一括り、英語は英検の準2級程度、そんな僕の高校から大学へ一般受験をする生徒はまったくいませんでした。

 

そんな一般受験のありえない僕の高校でしたが、僕はどうしても大学に行きたかった。

僕のいとこが名門大学に合格し、みんなからちやほやされているのが羨ましかったんだと思います。かたや僕は消去法で入った市で一番の低偏差値農業高校、常にバカ扱いされ将来も期待などされていない、勉強よりもバイトしてろと言われる毎日で現に週5・6でアルバイトをしていました。

 

どうしても大学に行きたかった僕ですが、父親は絶対に許してくれませんでした。完全に亭主関白だった僕の家庭では父親が絶対で、体罰や虐待も当たり前でした。

農業高校に入学したのも父親に普通科には行くなと言われたからです。

父に思い切って大学に行きたい旨をつたえた時も、

「ふざけんなっちゅーの!!」と一蹴されました。

 

しかしどうしても大学に行く夢を諦められない僕は、

社会人になり働きながら勉強して一般受験することを決意しました。

 

そう決心して就職活動を始めた僕は勉強時間を多くとるために休みが多く残業の少ない会社を選びました。そうして高校を卒業して社会人となった僕は、働きながらの受験勉強を開始しますが現実は想像以上に苦しいものでした。

 

職場は実家から近かったのですが父から「あまえるな!!」と言われ、僕はこれまた強制的に一人暮らしをさせられました。もし実家に住むなら毎月10万納めろと言われました。(いや別に甘えとかじゃないし、毎月10万てエグすぎやろ…)

 

朝8:00に出勤し、17:00に退勤、たまに1時間ほど残業、これが週5日。

家に帰って着替えて予備校に行き、予備校が閉まるまで勉強。

勉強時間は仕事のある日で4時間前後、休みの日で10時間ほど。

 

高校卒業したての社会人生活、初めての一人暮らし、おまけに受験勉強、

予備校に通いながら学費も貯めなければいけない。

 

新生活の新しい習慣に不慣れな業務、体の拒否反応はすごく、仕事に集中しなければいけないのに頭の中ではどうしても勉強のことを考えてしまう。いま僕がこうして仕事してる間もライバルたちは勉強しているのかと…

そんなことを考えていると仕事でもミスを連発し、会社での評価も落ちていきました。おまけに勉強のほうもイマイチ、底辺高育ちの僕にはどれも初めて習う難しいことばかりでした。

 

そんな生活を送り、当然身も心もボロボロの僕でしたがどうしても今の生活から逃げることはできず1年半が経ちました。もともと2年後の20歳に受験を決めていた僕は、受験までの残り5か月ほどをどうしても勉強に専念したく退職することを決意しました。

 

周りからは反対の声も多かったですが、この1年半の努力を知り多くの人は背中を押してくれました。父からは完全に絶縁され母親経由で「二度とウチの敷居をまたぐな」と言われました。(あんたホンマに親かい…)

 

そうしてやっと受験勉強一本に専念できるようになった僕ですが、

僕の後悔はこのときとても効率の悪い勉強をしてしまったことです。

仕事をやめ早起きする必要がなくなった僕はその甘えで朝ゆっくり起きるようになりました。そうして朝の勉強はほどほどに夕方や夜ばかり頑張るようになった僕はどんどん夜型人間になっていき、最終的に明け方まで勉強して明け方に寝てお昼ごろ起きる、という大変悪い生活リズムを送るようになりました。

たしかに毎日10時間以上勉強はできていましたが、勉強は量も効率が大事です。勉強をするなら比較的朝のほうが良いと言われているのに、夜にばかりやっていました。また夜に勉強をするとみんなが寝ているのに自分は起きて頑張っている、という優越感に浸り、そんな勘違いに酔っていたのだと思います。

そうしていると夜は眠れず、朝は起きられないという受験生としては最悪な体になってしまいました。

 

また勉強のやり方もインプット(暗記など:知識を頭に入れること)ばかりしてアウトプット(演習:解いたり知識を出す練習)をしないということを繰り返すようになりました。

苦手な科目は解けないからまず暗記などインプットからしてと思いましたが実際に解くことは、解けない恐怖から拒否反応が出てしまい、演習などのアウトプットはほとんどやっていませんでした。暗記などをしていると知識が増えた感覚になり自分が頭が良くなった感覚になり、これもまたただの自己満足で酔っていたのだと思います。知識を覚えるときと解く時では脳の使っている部分は違います。それぞれを効率よくやることが勉強では最も大事でした。

 

そうして暗記ばかりし、朝起きることもできなくなった僕は模試で惨憺たる結果となりました。英語は偏差値35、国語は古文現代文で28を出しました。本当に思い出したくないです。(ちなみに偏差値の最低は『測定不能』というのがあるそうです)

 

ですが落胆している暇もない僕は「今は仕事を辞めたばかりだから仕方ない!」と変なところで前向きになり自分を慰め、今の勉強法が正しいと信じ勉強法や生活リズムを改めようとはしませんでした。予備校の先生にも「眠かっただけです!」と強がって自分の愚かさと過ちを認めませんでした。

 

そうしてついに受験の日を迎えた僕でしたが出願した6つすべての大学に落ちました。結局受験の前日も睡眠薬を飲んで眠りについていました。

もともと名門早稲田大学を第一志望にしていましたが当然のように落ち、滑り止めの偏差値45程度の大学にも落ちました。本当に地獄に堕ちたような気持ちでした。

それでもどうしても大学に行きたい僕は追加で出願し受験をしました。

追加で3校受け、結局2校に合格し、結局偏差値の高い方の大学(45程度)に入学しました。

 

もともと早稲田大学を目指し、みんなにも「早稲田を受ける!死んでも受かってみせる!受からなかったら自殺する!」くらいのことを言っていた僕はみんなから多くの批判とバッシングを受けました。

「なんで早稲田落ちたのに生きてんの?(笑)」

「恥ずかしくないの?(笑)」

 

受験で惨憺たる結果を痛感し、友人や家族からも酷い言葉を浴びせられ、本当に死にたくなったのを昨日のことのように覚えています。

母も心配して僕が家で死んでるんじゃないかと見に来たそうです。

 

受験の悔しさを忘れられない僕は、大学入学以降も他の大学への編入や仮面浪人などいろいろ試みましたがどれもダメでした。

 

悔やんでも悔やみきれない、なぜ受験期にあんな効率の悪い勉強法を続けていたのか。もとはといえばなぜ農業高校に入ったのか、親をなんとか説得して普通科の高校に行けばよかった。中学のころ親を納得させるほど勉強すればよかった。

中学校で過ごす3年間という時間が、将来をこんなにも左右する大事な時期なんだとは気づかなかった。

こんなにも将来の可能性や明るさを決める重要な時だとはとても気づけませんでした。

 

せっかく最後のチャンスを手にした大学受験の時も、

なぜ暗記ばかりして実際に問題を解く練習をしなかったのだろう。得意な科目だったら演習もしたのに、嫌いな科目になると途端に演習をしたくなくなる。

嫌いな科目ほどインプットして頭に入ってる感が気持ちよくて、実際に解くことから逃げていた。

しかしこの歳になってわかったことが一つある。勉強もスポーツもたぶん仕事も、

人間は嫌いなことをしてる時が最も成長している、ということです。

 

僕の後悔は二つです。

一つは中学のときにもっと一生懸命勉強しなかったこと

もう一つは、受験勉強で効率の悪い勉強法と不規則な生活をつづけたことです

 

受験に失敗した、親に逆らえなかった、ありきたりなエピソードかもしれませんが僕はそれを何歳になっても公開すると思います。

今でもときどき思い出して沈んでしまいます。

この失敗を生かし、もう二度と後悔はしないよう、

今後の自分と周りの人の人生に少しでも役にたてるようにしようと心に誓いました。